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京都酒の未来を切り開く1本になるか

巷ではゴールデンウイークも終わり、若干落ち着いた雰囲気の祇園界隈ではありますが、新型コロナの5類移行をもって「日常」を取り戻しつつあります。その日常は京都にとっては“コロナ前”の賑わいを取り戻しつつあることでもあります。新型コロナの緊急事態宣言中の「ゴーストタウン」の祇園(もう“コロナ前”の生活は戻ってこないのではないかという不安)を思えば、本当に人間ってすごいなぁと漠然とした感慨にふけってしまいますね。

この約3年間、日常を失くしたヒトにとっての冬の時代に、じっと耐えながら新しい取り組みを始めて生み出されたものもたくさんあるでしょう。今回取り上げる日本酒も、そんな「新しい日本酒」のカタチを体現する1本です。

その日本酒の名前は「アッサンブラージュ・クラブ」です。

ワインの好きな方であれば名前だけでなんとなくピンとくるのではないでしょうか。“アッサンブラージュ”という言葉自体はフランス語で「組み合わせる」という意味で、ワイン造りにおいては複数の原酒(キュヴェ)を混ぜ合わせる工程を指す用語です。

そうです、この「アッサンブラージュ・クラブ」は複数の日本酒をブレンドして造ったものです。近年、日本酒のブレンドというのもちらほら見かけますが、この「アッサンブラージュ・クラブ」は、京都の老舗蔵(月の桂の増田徳兵衛商店、富翁の北川本家、神蔵の松井酒造)のそれぞれの酒をブレンドして生まれた日本酒なんです。

1つの蔵の日本酒をブレンドしたものはあります。もしくは複数の蔵が共同で1つの酒を造り上げることも近年、よく見かけますが、複数の蔵がそれぞれ造った日本酒をブレンドするというのは現在の日本酒造りにおいては珍しいのではないでしょうか。

焼酎やウイスキーなどの蒸留酒では当然のように行われポジティブなイメージのブレンドですが、日本酒(醸造酒)のブレンドはなんだか禁忌のようなイメージもあります。しかし「日本酒」産業の歴史としては、日本酒のブレンドというのは珍しいことではありません。特に京都や灘のような歴史的にも大規模な生産地においては、かつては周辺の小さな蔵の日本酒(言葉はよくないですが「余った酒」)をタンクごと大手が買い取ってブレンドして味を調整して自分の蔵の酒として安価で販売していた歴史もあります。そんな日本酒はカテゴリーとしての「大衆酒」から粗悪な「三増酒」と一緒くたとなり、「日本酒のブレンドは悪」のようなイメージとなったのかもしれません。

現在の風潮としてはこのようなブレンド日本酒というのは歓迎されないお酒になってはいますが、もっと日本酒が身近で日々、飲むお酒として必要とされていた時代にはこのようなお酒は「必要なお酒」でした。現在のビールでいうところの発泡酒や第3のビールのような存在でしょうか。しかし近年、日本酒は毎日ではなくたまに美味しいものを少し飲むことが主流になり、純米大吟醸をはじめとした特定名称酒の割合がぐんぐん上がっているのは周知でもあります。

日本酒のブレンドというのはこれまでなかったものではなく、特に京都などでは「技術」としてあったものではあります。そんな背景があってかどうかはわかりませんが、その技術を現在のイメージでポジティブな形で表現したのがこの「アッサンブラージュ・クラブ」といことではないでしょうか。

ブレンドしたお酒で、どういうスペックのお酒がブレンドされているかは非公開なので「純米大吟醸」などの表記はありませんし仕様は不明ですが、かなり“気合の入った”お酒が使われているのではないかと感じます。

今回、初年度ヴィンテージで取り扱いのお話をいただいた時は、正直(価格的に)扱いづらいかなあと思ったのですが、試飲させていただいてお店で置かせてもらうことにしました。単純に美味しかったからです。

ただ美味しいお酒では全国津々浦々あまたあり、安くても美味しいお酒が飲めるのが日本酒の良さでもあります。ワインでいえばこの世には1本100万円するワインもあれば500円のワインもあります。両方美味しいワインであることは間違いないのですが、そこには厳然とした価格の違いがります。当然1本あたりにかかるコストが価格に反映されるし、ワインの場合は投機の対象であったり、ヴィンテージや状態、所有者など様々な要素があるため信じられない価格になることがありますが、やはりそこには「味の違い」というものがあります。「美味しい」という言葉で表現するならば両方「美味しい」のですが、その価格の違いを生み出す違いがあるのです。

もっと言えば100万円するワインには100万円するワインにしかない「美味しさ」があるのです。500円のワインの美味しさは同じような価格の他のワインでも味わえる美味しさということが言えます。ただ100万円するワインの「美味しさ」を味わうためにその価格を払うかどうかという価値観にも関わる話にもなるので「100万円のワイン」というインパクトだけが大きくなってしまう側面もあるでしょう。そもそも「美味しさ」というもの自体が基本的には主観的な評価である以上、100万円のワインの「美味しさ」を美味しいと感じなければその人にとってその価値は全くないものになるわけです。そこが難しいところでもあります。なれ寿司やくさやをはじめから美味しいと思う人もいれば何度か食べて美味しいともう人もいれば、何度食べてもだめだという人もいるのと同じことですね。

話は戻って、このアッサンブラージュ・クラブを「単純に美味しい」と表現したのは他で味わえる美味しさではなく、適切な表現ではないかもしれませんが日本酒として“上質”な美味しさを感じたからです。上質さは価格と比例します。なので納得しました。その価値(味)があるからです。日本酒においてのこの味(感覚)をどう言葉で表現できるのか、私にはまだまだ難題です。

そしてこのアッサンブラージュ・クラブといお酒、今回は“Taro”というサブネームがついていて、コンセプトも付されていて今回のコンセプトは「肉専用」ということです。ファーストヴィンテージなので“Taro(太郎)”なのでしょう。「肉専用」というのは、旨味量や酸味や甘味のボリューム感でそういうことなのかもしれませんが、お酒を飲んで感じた個人的な感想としては、このクオリティを保てるのならばコンセプトなどは付けずにお酒自体の質で、ブランディングして欲しいと思ってしまいます。

封切り直後よりは若干時間をおいて、何なら翌日とかの方がバランスがいい気がしますし、温度も10度くらいが余韻もいい気がします。提供の仕方は工夫が必要かもしれませんが、とはいえ日本酒の一大産地であるが故に大量生産の蔵が多く没個性のイメージもある京都酒の中にあって、斜め上を行く京都ならではの技術と経験を活かして生まれた日本酒という部分も含めこのお酒が京都酒の未来を担うフラッグシップのようなお酒になる(可能性を十分に秘めたお酒と感じたので)ことを祈っています。

 

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